ビックリ西陣織の歴史
西陣織(にしじんおり)の歴史は、なんと5~6世紀の古墳時代です。
その頃、養蚕・絹織物の技術が中国から伝わったことに始まりました。
そこから奈良に都が出来て、その後、平安京に遷都したのが8世紀末ですから、
西陣織の歴史は「京の都」が誕生する200年以上前にさかのぼることになります。
ビックリですよね。
西陣織は京都の祇園祭の山鉾にも使われています。
なお、秩父の織物の発祥は崇神天皇(すじんてんのう)の御代に、
知々夫彦命が住民に養蚕と機織の技術を伝えたことが起源といわれています。
つまり、秩父地方には、紀元前に織物が伝わってた可能性があるということで、
これまたビックリですよね。
西陣の観光がおすすめな理由
すごい歴史を持つ西陣ですが、観光としてはマイナーな場所です。
それだけに、人混みもなく、快適に街歩きが可能です。
有名な寺社めぐりもよいですが、混雑を避けて京都の日常を味わいたい人にはとてもおすすめな地域です。
西陣織会館(にしじんおりかいかん)や歴史ある町並みや寺院などが点在する西陣の散歩を散歩しました。
西陣に興味を持たれた方のモデルコースにしていただければ幸いです。
西陣のモデルコース
「堀川今出川」のバス停を降りると目の前は西陣織会館です。
我々はタクシーで行きました。
西陣地区の西陣織会館
まずは、西陣織会館に訪れました。
西陣織の歴史や製法、作品などが展示されています。
また、実際に織り機を見学したり、織物の販売も行われています。
機織りの見学中の俺
西陣織会館の近くには晴明神社(せいめいじんじゃ)
西陣織会館から南へ徒歩2分
晴明神社は「せいめいじんじゃ」と読みます。
フィギュアスケート金メダリスト羽生結弦さんが参拝し、フリープログラム使用曲「SEIMEI」を金メダル連覇へと導いたことから、羽生結弦ファンの聖地として有名です。
小さな神社ながら、女性を中心に多くの参拝客で賑わってました。
晴明神社は、平安時代の陰陽師(おんみょうじ)である安倍晴明(あべのせいめい)を祀った神社です。
安倍晴明は、子どもの頃から鬼の姿が見えると言う、現在に生まれてたら病院に連れていかれるだろう才能を持ってました。
大人になってからは、占いや祈祷や厄払いなどに活躍し、84歳で亡くなりました。
平安時代の平均寿命は30歳前後ですから、驚異的な長寿と言うことになります。
病気や怪我をはじめとする魔除け・厄除けのご利益があると言われます。
西陣の古い町並み 紋屋町(もんやちょう)
晴明神社から北西方面へ向かって、歩いて10分ほど歩くと、老舗や伝統工芸店が点在する古い街並みに出会いました。
紋屋町の読み方は「もんやちょう」ですが、紋織(文様のある織物)を発明した織屋がいたことが由来だそうです。
現在でも残る唯一の織元「三上家」の路地がこちら。
西陣の聖天さん「雨宝院(うほういん)」
「西陣の聖天さん」とも呼ばれる雨宝院です。
西陣の古い住宅街にひっそりと立地する隠れ寺で、縁切りのお寺としても有名です。
住職が行なう祈祷は縁切りや厄除けなど様々な効果を発揮するとのこと。
桜の名所として有名でしたが、連日の雨でだいぶ散っておりました。
かつて朱雀大路だった千本通の名前の由来が恐ろしい
京都のど真ん中を南北に走る「千本通」の読み方は「せんぼんどおり」です。
平安京の朱雀大路(すざくおおじ)のなごりで、当時のメインストリートでした。
朱雀大路の南端には現在も東寺(とうじ)が残っております。
京都駅の西側にあるのに、なぜ「東寺」なのかと思ったら、平安京の朱雀通りが基準だったのですね。
千本通りは現在でも飲食店が立ち並び、賑やかな通りです。
我々も千本通りにある「鳥よし」さんで昼食をとりました。
さて、千本通の名前の由来ですが、千本通の北に位置する「船岡山(ふなおかやま)」の西側に死者の埋葬地があった事に由来すると伝えられています。
この場所に死者が運ばれる道が千本通で、道の両側には卒塔婆(そとうば)が立てられていたそうです。
卒塔婆とは、お墓に立っている木の札で、千本の卒塔婆が立っていることから、千本通りと呼ばれるようになったそうです。
ちなみに、船岡山公園の近くには「閻魔前町(えんままえちょう)」という地名があります。
これは閻魔様の住むあの世の前にある場所としてつけられた地名だったとのこと。
コメント
西陣檻会館は渋いですね
あそこに観光で行く人少ない
近くの晴明神社は人が多いけど