【怪奇】2度死んだ死の街ブルージュの不思議

2度死んだ死の都ブルージュ。ブリュッセルから電車で約一時間。

天井の無い美術館と言われる世界遺産のブルージュ歴史地区は、海から15kmも離れた内陸にある。

大きな川が流れてるわけでもないのに、水の都として栄えた不思議な街だ。
ブルージュ駅から10分ほどのミンネワーテル公園
ミンネワーテル公園

ミンネワーテル公園の北側の愛の湖公園
水鳥の憩いの場となっている
愛の湖公園

ブルージュ駅から15分 聖母教会 高さは122m

聖母教会の裏側にあるボニファティウス橋付近の景色はオススメ

ブルージュの街の中心マルクト広場はブルージュ駅から20分
ブルージュの鐘楼
ブルージュの鐘楼
マルクト広場の鐘楼の反対側には西フランドル州庁舎
ブルージュのマルクト広場にある西フランドル州庁舎

中世の街がそのまま残ってるブルージュ
なぜ、このような街並みが残っているのか?
ブルージュの街並み

2度死んだブルージュの街

ブルージュは、城塞が起源の小さな街だった。
※ブルージュの街は9世紀に初代フランドル伯のボードゥアン1世がノルマン人の侵入に備えて建てた城塞が起源と言われる
この長閑なブルージュの田舎町に最初の悲劇は12世紀に起こった。
津波は街に巨大な水の溝を残して去っていった。
津波による溝を利用し、北海へ出る運河を作り、ブルージュは急速に発展していった。
14世紀から15世紀にかけて、ブルージュは黄金時代を迎える。
聖ヨハネ施療院の跡地(メムリンク美術館)
メムリンク美術館
イギリス、ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの商人が貿易を行い、ヨーロッパ最大級の港町となった。

また、毛織物工業で繁栄し、ハンザ同盟にも加入していた。
(※ハンザ同盟・・・中世後期にドイツ北部の都市を中心に結成された都市同盟。ヨーロッパ北部の経済圏を支配し莫大な利益を上げた。)
街並みはドラクエの世界そのもの。
(※テロップ 聖母教会・・・13世紀に建設されたゴシック様式の教会。塔の高さは115メートルで、ブルージュで最も高い建物)

15世紀になると、運河や港には砂が堆積してきたことで、徐々に船が進入できなくなってきた。

やがて、ブルージュの港は使われなくなり、貿易の中心はアントワープ(オランダ語:Antwerpen(アントウェルペン))に移った。

産業革命が世界で最初に起こった国はイギリスであるのは知られている。
そして、ベルギーは世界で2番目に産業革命が起きた国だ。

産業革命年表
1760年代 イギリス
1830年代 ベルギー
1830年代~1860年代 フランス
1830年代 アメリカ
1840年代 ドイツ
1886年頃 日本
1890年代 ロシア
※諸説あり

19世紀、ベルギーは産業革命により大きく発展した。
港町アントワープは産業革命の恩恵を受け、今ではベルギー最大の人口を持つ都市に発展した。
一方で、港が使えなくなったブルージュは15世紀の街並みを残したままゴーストタウンと化して、「死の街」と呼ばれるようになった。
1892年ベルギー出身の詩人・作家のジョルジュ・ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』が、フランスのフィガロ紙に掲載された。

この小説が出版されるとブルージュの名は多くの人に知れ渡った。中世のままの街並みは多くの人々の心を惹きつけ、ブルージュは観光地としてよみがえった。
運河や港に堆積していた砂は除去され、現在のブルージュの港「ゼーブルージュ港(ゼーブルージュこう)」は、アントワープに次いでベルギーで二番目に大きな港である。

ブルージュの大津波の謎

ここで一つ大きな疑問が残った。
12世紀にブルージュの街を飲み込んだ大津波。複数の文献より報告されており、間違いなくあったのだろう。
ところが、不思議な事にブルージュ以外の街に被害の報告がないのである。
12世紀におけるヨーロッパの唯一発生した大地震は、1169年に起きたイタリア・シチリア地震で、マグニチュードは6.6であった。
しかし、ブルージュはシチリアからは遠く離れており、この地震による津波がベルギーを襲ったのは考えにくい。

15㎞内陸に運河が出来るほどの溝を残すとなると、東日本大震災に匹敵する大きな津波であったことは間違いない。
800年経った今では当時の生存者はいないと言われている

12世紀の大津波について、ブルージュ以外の被害を知ってる方がいましたら、コメント欄に書いてください。

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